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5分間でわかる釈迦尊はどんな人だった?

釈迦尊の誕生
関連都市 (ルンビニ・カピラバストゥ:ティラコートとピプラワー)

 釈迦尊は、インド東北部にあったシャカ族の王子としてルンビニ(現在はネパール領)でスッドターナ王とマヤ夫人の間に生まれました。当時の名前はゴーダマ・シッダルタといいました。マヤ夫人は出産後、7日間で亡くなりました。幼い釈迦尊は何不自由なく王となるための教育や武芸を身につけていました。12歳になったころ農作業を見てショックを受けたことがありました。牛の引く鋤に掘り起こされた土の中から出た虫が小鳥に食べられ、その小鳥が大きなタカに襲われるのを目撃したのです。釈迦尊はこの世の弱肉強食の営みを知り、心を痛めたのです。

人生の辛さを知った釈迦尊
関連都市 (カピラバストゥ:ティラコートとピプラワー)

 釈迦尊が16歳になったとき結婚し、子供も生まれましたが、幸福な生活は長続きしませんでした。あるとき、都の東門から外に出ると、人からさげすまれ、痩せおとろえた老人の姿を目にし、南門から出ると死を目の前にした病人を見ました。西門に身寄りのない老人が死んでいるのを目の当たりにしたとき、人間が生を受けてから避けることのできない『生、老、病、死』を知った釈迦尊は、人生の根本にある『苦』という思いを深め、どうしたら苦から解放されるのか考え続けました。

出家する釈迦尊
関連都市 (カピラバストゥ:ティラコートとピプラワー)

 29歳になったとき、都の北門から出た釈迦尊は、ヒンドゥー教の僧の姿を目にして、ついに出家を決意します。父や妻子を残していくのは大変つらいことでしたが、『人々が苦しみから救われる道を見つけるまでは戻ってこない』と強く決意し、豪華な王の衣服や美しい装飾品を従者にあたえて、ひとり旅立ちました。

6年間のきびしい苦行
関連都市 (ラージギール・ヴァイシャリ)

 釈迦尊は、『生老病死』という人生の苦しみを知り、父や妻子との優雅な生活を捨て、カピラバストゥ国を出て出家者となりました。釈迦尊は、ぼろ布をまとってインド東北部の各地へ旅を続け、托鉢の毎日を送りました。ガンジス河流域で有名だったヒンドゥー教のインド最大の国、マガダ国(現ラージギール)で数百人の弟子を持つアーラーラ仙人、ウッダカ仙人のもとで修行に励みました。しかし、釈迦尊は、その教えや修行に満足できず、そこで5人の修行者とともに静かな山林にこもり、苦行を始めました。
苦行は長期間におよぶ断食が中心でした。三週間が限度とされていた断食を2か月も続けたこともありました。苦行中、何度も悪魔(誘惑など)が近づき嘲笑い、『無駄だからやめたほうがいい』という囁きに対してそれを退けましたが、いくら苦行を6年間徹底的に続けても悟りを開くことはできませんでした。その結果、ついに釈迦尊は苦行をやめたのです。『極端な苦行はかえって精神や肉体を駄目にして真理から遠ざかるのではないか』と考えたのです。

菩提樹の下で悟る
関連都市 (ブッダガヤ)

 山林を出た釈迦尊は、付近を流れるナイランジャナ河にて沐浴をしていたのですが、激しい苦行により体が弱っていたため、岸辺で倒れてしまいます。このとき、付近の村のスジャータという娘が釈迦尊を助け、ミルク粥を捧げました。釈迦尊は、それを食べて体力を回復させました。その後、河辺りの菩提樹の下で座禅を組み、目を閉じて雑念をはらい瞑想に入りました。このとき、また悪魔が俗世間の欲望などによって釈迦尊を誘惑します。しかし、釈迦尊は、この欲望は自分の心の中にあるものだと気付きます。瞑想に入って8日目、悪魔に打ち勝った釈迦尊の心から人間の苦しみや迷いが消えていました。釈迦尊は、覚者『ブッダ』(真理に目覚めた人)となり、悟りを開いたのです。このとき35歳でした。現在この地は『ブッダガヤ』と呼ばれ、仏教の聖地となっています。

初めての説法
関連都市 (サルナート)

 苦行の果てに苦行の無益さを知った釈迦尊は、苦行をやめて、菩提樹の下で悟りを開きました。人間の苦しみの原因と苦しみからの解放を知った釈迦尊はその後、21日間の座禅と瞑想を続けました。その瞑想により宇宙の最高の真理を悟った喜びを繰り返し味わい、確かなものにするためでした。こうして悟った釈迦尊は、その真理を人々に伝えるべきか考えました。悟りの道は深く遠く、人々が簡単に理解できるものではなかったからです。しかし、慈悲の心をもって苦に満ちた人々を救う道を選び、ガンジス河のほとりにあるヒンドゥー教の聖地ベナレスに向かいました。ベナレス郊外のサルナートにはかつてともに苦行をした5人の修行僧が住んでいました。釈迦尊は彼らに向かい、初めての説法を行いました。修行僧たちは苦行をやめた釈迦尊を冷ややかに見ていました。しかし、釈迦尊の説法により、釈迦尊の説く宇宙の真理を聞いて驚きました。そうして説法が終わると釈迦尊の弟子となりました。この最初の説法は『初転法輪』と呼ばれています。

布教の旅
関連都市 (ラージギール・ヴァイシャリ・ナーランダ・サラバシティ・サンカシア)

 サルナートの説法から始めた釈迦尊は、インド東北部の各地に赴き、身分や性別、善人悪人の区別なく悟りで得た真理を説き続けました。釈迦尊の説く教えは新興宗教とみなされ、ヒンドゥー教の修行者と論争になることもありましたが負けることはありませんでした。インド東北部のマガダ国(現ラージギール)の王ビンビサーラは釈迦尊の人柄にほれこみ、還俗(俗人)に戻るとしたら、マガダ国の半分を譲ると申し出ました。
しかし釈迦尊は『自分が出家したのは欲望を叶えるためではない。欲望は決して満たされることはありません』といって断わりました。釈迦尊の言葉に深くうたれたビンビサーラ王は弟子となり瞑想の場として竹林精舎を寄進しました。同じようにコーサラ国(サラバスティ)のスダッタ長者は祇園精舎を寄進しました。祇園精舎には弟子による教団ができ、老若男女あらゆる階層の人々が訪れ、信者となりました。

釈迦尊の晩年と入滅(涅槃)
関連都市 (クシナガル)

 釈迦尊は、35歳から説法を始めてから45年間布教を続け、多くの弟子と信者を得ました。やがて80歳になり死期の近いことを悟った釈迦尊は弟子のアーナンダを伴い故郷のカピラバストゥに向かい旅立ちました。しかし、旅途中のクシナガルで信者より出された食事(キノコ料理?!)にあたり病に倒れてしまいます。釈迦尊は、非難することなくその信者に感謝の気持ちを示したといいます。釈迦尊は二本のサーラ樹(沙羅双樹)の間に横たわり、アーナンダに最後の説法をし、『形あるものは必ず滅すのです。自分自身と真理の教えである仏法をたよりに怠ることなく修行につとめ、生きなさい』といい、アーナンダから捧げられた最後の水を飲まれた後、頭を北向きに西を向いて伏せられ、釈迦尊は静かに入滅(涅槃)に入られました。その時、沙羅双樹が白い花を満開に咲かせたといいます。